1999年に起きた全日空61便ハイジック事件の犯人は、西沢裕司という人物。経歴や顔画像や犯行動機などを調査しました。
全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の家族構成などのwikiや顔画像は?
1999年に起きた全日空61便ハイジャック事件の犯人は西沢裕司という人物です。何故事件を起こしてしまったのか残念でなりません。。
西沢裕司のwiki
- 生年月日 1970年生まれ
- 出生地 東京都
- 出身中学 武蔵中学
- 出身高校 武蔵高校
- 出身大学 一橋大学
家族構成は、銀行員の父・専業主婦の母親とお兄さんがいます。
二人兄弟の次男として誕生しました。また、祖母も居た環境で育ちました。
小学校2年生~3年生の頃にいじめにあったことがあります。
学業は優秀で武蔵中学や武蔵高校はエリート校として有名で大学も頭が良い人が通う一橋大学出身。
いわゆるエリートで頭が良かった、人物ですね。
一橋大学在学中は、航空機好きということもあり、羽田空港でアルバイトをしていました。
1994年、一橋大学を卒業後はJR貨物に入社しました。社会人1年目から寮で生活をしていました。
しかし、本来は、航空関係の会社に入社したかったことや前々から人付き合いが苦手で非常に苦しい思いをしていたそうです。
その後、西沢裕司はそれらのせいで鬱になってしまい、1996年には会社の寮を出た。当時は自殺も考えていたそうです。
寮を飛び出した後、半年程自由な時間がありその期間に自殺をしようとしていたようですが結局所持金もそこを尽いて自宅に戻りました。
鬱病の治療の為に精神科にも通っていたようですが思うように改善しなかったようです。
またアスペルガー障害があるとされています。
会社は辞めて就職活動をしていましたが働くところが見つからず約3年間自宅で引きこもりがちになり、ゲームなどに没頭していました。
その時によく遊んでいたゲームがフライトシュミレーションゲーム。パイロットになることができるゲームで大好きだったようです。
航空マニアだったそうです。
西沢裕司が犯行当時の兄は自立していて家庭も持っていたことから良く兄と比較されていたようです。この苛立ちもあったでしょう。
西沢裕司の顔画像はこちら。。
「レインボーブリッジをくぐりたかった」
【全日空機ハイジャック事件(1999)】、西沢裕司 pic.twitter.com/lf2XiZLu3V
— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) 2018年9月14日
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全日空61便ハイジャック事件の犯行動機は?
航空マニアだった西沢裕司はインターネットを見ていた際に羽田空港の警備体制に欠陥があることを見つけそれを知ってもらうために関係する機関に手紙送ったりしていました。
また、羽田空港の警備員として採用するよう求めたがそれも断られていました。
羽田空港の警備体制に欠陥があることも対策されておらず、電話で苦情を言ったこともあったそうです。
この苛立ちが全日空61便ハイジャック事件の犯行動機だとされています。
西沢裕司の計画では、羽田空港の警備体制に欠陥があることを教えたにも関わらず、対策もしない関係者に復讐したいと考えていました。
「レインボーブリッジを潜りぬけるというふざけた曲芸」
を披露し世間を驚かせることを考えていたようです。
しかし、ハイジャック当日は上手く操縦することができず墜落寸前まで落ちてしまう無様なものでした。
西沢裕司は全日空61便ハイジャック事件で殺人とハイジャック防止事件で求刑通り2005年に無期懲役が確定している。
【まとめ】西沢裕司の経歴や家族構成は?顔画像や犯行動機も調査!1999年全日空61便ハイジャック事件の犯人!
1999年に起きた全日空61便ハイジャック事件の犯人・西沢裕司は非常に身勝手な行動により死者も出し、残念な人生を送る結果となってしまいました。
高学歴であるにも関わらず、このような犯罪を起こすことは残念でなりませんね。
一橋大学まで行ける根性があるなら世間に役に立つことをやっておけばよかったのにと思います。
最後まで閲覧ありがとうございました!
以上だい吉でした!
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